ここまで2回にわたり、IR(インベスター・リレーションズ)とPR(広報)の違いについて解説してきた。今回は、個人投資家向けIRが必要な理由やその背景、個人株主を増やす試みを日本IR協議会特任研究員・杉由紀氏に解説してもらった。
個人投資家向けIRを強化しなければならない理由
前回は、IRを強化することによって、①株価の安定と長期的な時価総額の成長、②会社への信頼醸成、③経営戦略のハードルレート(その会社が事業投資でクリアすべき投資収益率)を下げるなど「一石三鳥」の利点があることを述べた。今回は、個人投資家向けのIR活動を強化するメリットについて紹介する。
個人投資家軽視で上場廃止のリスクも
これまでの連載で、東京証券取引所(以下、東証)が株式市場を活性化するために上場企業に対して様々な改善を要請していることを紹介してきた。東証は、個人投資家向け対策についても熱心だ。2025年4月24日には、最低投資金額を10万円程度に引き下げることを上場企業に要請した(罰則規定はない)。従来は、努力義務として50万円未満を要請していたので、大幅な引き下げとなった。
上場企業は100株を1単元としており、100株単位でしか売買できない。100株で10万円ということは、株価にすると1,000円だ。例えば、ユニクロを展開するファーストリテイリングの6月末の株価は4万9,520円で、最低単位の100株を買おうとすると495万2,000円必要になる。個人が簡単に出せる金額ではないし、少額投資非課税制度(NISA)の年間の投資可能枠も遥かに超えてしまう。
最低投資金額を10万円以下まで下げるには、1株を大幅に分割する必要がある。NTTは、23年7月から1株を25株に分割した。6月末の終値は154円で、15,400円あれば100株購入できる。分割前であれば38万5,000円が必要になる計算だ。
ファーストリテイリングやNTTは極端な例だが、東証に要請されずとも、個人投資家への働きかけを強化する企業は増加している。日本IR協議会の「第32回IR活動の実態調査」(2025年)では、個人投資家向けIR活動を実施していると答えた会社の割合は78.5%で、前回同様の質問を行った2年前の73.8%から5%ポイント近く上昇した。過去1年間になんらかの個人投資家向けイベント(会社説明会、施設見学会など)を実施した企業は、約69%となり、こちらも4%ポイント近く上昇した。
個人投資家が増えると、上場企業にはどのようなメリットがあるだろうか。まず、株主数が増えて売買が活発化する効果が期待できる。投資家のすそ野が広がると、短期視点で売買する投資家がいる一方で、中長期の視点を持ち、株価が下がれば買いたいという投資家も増える。前回の連載で述べたように、株価の過度な乱高下を抑えられれば、戦略の自由度を上げる効果が期待できる。
企業間の株式の持ち合いの解消が求められる中で、その受け皿として期待できるのも個人投資家だ。東証の上場維持基準では、流通株式比率がプライム市場では35%以上、スタンダード市場とグロース市場では25%以上が求められ、達成できない場合は改善計画を提出し、一定期間内に基準を達成できることを示す必要がある。それでも維持基準を満たせない状態が続けば、上場廃止になってしまう。流通株式の時価総額についても、プライムは100億円以上、スタンダードは10億円以上、グロースは5億円以上という基準があり、株価そのものも一定水準以上を維持しなければならない。東証が25年2月に発表した資料によれば、これらの基準を達成できず経過措置の対象となっている企業は267社もあった。
そのうえ、流通株式として数えられる株式の条件は厳しい。流通株式と見なされないものとしては、10%以上を保有する「主要株主」の持ち分、銀行や保険会社の保有分、事業会社でも「純投資目的」と表明されていないもの(いわゆる政策投資)、自社の役員や持株会が保有するものなどがある。機関投資家の保有株式は「純投資」であるため問題ないが、それ以外で増やそうとすると個人投資家しかいないということになる。
上場維持基準における流通株式
長期保有の「ファン株主」を育てる試み
個人投資家向けのIRを強化することは、上場を維持するための「後ろ向き」な目的の他に、会社の事業を応援してくれる「ファン株主」を育てるという前向きな活動でもある。個人投資家を「ファン株主」にできれば、多少の株価下落なら売却を思いとどまってくれる可能性が高いため、流通株式比率の維持や、株価の過度な乱高下を避ける効果が期待できる。
味の素は、「ファン株主」という言葉を最初に使い始めた会社として知られている。21年度には社内で「ファン株主コミュニケーションタスクフォース」を発足し、個人投資家向けに工場見学会を開催したり、若手社員が個人投資家との対話の場に出席したり、取締役会の動画を公開したりと様々な活動を展開している。イオンの株主総会では、株主を「ファン株主様」と呼びかけ、特別感をアピールしている。
ファン株主づくりに取り組んでいるのは、消費者向けの事業を持つBtoCの会社ばかりではない。BtoBの企業も工夫を凝らしている。例えば、コマツは株主向けに工場見学会をリアルとオンラインの両方で開催し、長期保有(3年以上、300株以上)の株主には自社の建設機械のミニチュアをプレゼントしている。日本製鉄やJFEなどの重厚長大企業も、工場見学会などを行っている。
※本コラムは筆者個人の見解および分析に基づくものであり、所属する団体や教育機関の公式見解を示すものではありません。
注: 日本IR協議会「第32回IR活動の実態調査」(2025年)調査
実施期間:2025年3月14日~4月25日
調査対象: 2025年3月時点の全上場企業 4,113社
回答社数: 962社
調査方法:電子調査票形式
日本IR協議会特任研究員
杉 由紀氏
ビジネス誌記者、外資系証券会社および国内系・外資系の資産運用会社アナリストを経て、アリアンツ・グローバル・インベスターズ・ジャパンで日本株式調査部長を務めた。現在は企業のIRアドバイザーを務めるほか、日本IR協議会特任研究員として、企業のインベスター・リレーションズや経営戦略策定等のアドバイスを提供する。ピクシス合同会社代表。
