コラム

非財務情報に注目が集まる理由 Vol.1

企業価値を左右する要素が財務情報だけでは不十分になり、機関投資家はESGを含む非財務情報に注目するようになった。相次ぐ不正会計や気候変動リスクの顕在化を背景に、国際的な共通基準の整備が進み、統合報告書の重要性はますます高まっている。その経緯と意義について、日本IR協議会特任研究員・杉由紀氏に解説してもらった。

高まる統合報告書の重要性

企業のIR担当者から必ず年に数回いただく質問の一つに、非財務情報の開示や統合報告書に関するものがある。「投資家は統合報告書やESGに関する質問をあまりしてくれないが、統合報告書はきちんと読んでくれているのか?」 「機関投資家は本当に非財務情報を必要としているのか?」などの疑問だ。企業は多額の費用と人員をかけて、環境負担の軽減や人材育成、ガバナンスといった、いわゆるESGに関する情報を開示し、統合報告書の発行を行っている。それなのに、機関投資家からの問い合わせが想定以上に少なく、手ごたえが感じられないというものだ。

確かに、多くの機関投資家がIR部門とのミーティングにおいて非財務情報の議論に費やす時間は、比率で見れば大きくないだろう。ほとんどの時間は、毎四半期の財務の進捗や経営環境の変化が業績に与える影響、経営方針をどう微調整していくかなどに使うのが常だ。証券会社のアナリストも同様といえる。

IR部門との対話で使う時間が少なくても、非財務情報、またはESG(環境・社会・ガバナンス)を機関投資家が軽視しているということはない。むしろ、ますます非財務情報に注目している。ただ、非財務情報にかかわる経営方針や取り組みは、そう頻繁に変わるものではない。四半期ごとにIR部門から情報のアップデートをしてもらう性格のものではないのだ。IR部門との議論で取り上げるのは、統合報告書で新情報が提供された時、ESG関連で環境や方針の変化があった時、同業他社と比べて取り組みが遅れている点がある場合などが多い。財務情報と非財務情報の取り扱い頻度の差について、会社と機関投資家の認識には常にギャップがある。それを意識したIR活動が重要だ。

財務情報だけでは投資判断できない時代に

機関投資家にとっての非財務情報は、日々の売買に影響を及ぼすファクターではないが、中長期的な企業の価値創造能力を評価するために欠かせない重要な要素となっている。

非財務情報の重要性が増してきた過程には、いくつかの転換点があった。最初は、2001年のエンロンの破綻、2002年のワールドコム破綻だ。巨額の不正会計により、通常の決算情報分析だけでは投資判断に十分ではないという考えが登場した。並行して、年金基金や政府系ファンドなど、運用規模が巨大な機関投資家が増え、国境を超えて幅広く投資するようになったことで、社会の健全性や環境問題などがポートフォリオに影響を与えるという考えが広まっていった。

さらに、気候変動、災害、資源枯渇、規制強化、金融危機などが実際に企業の業績に影響を与えるケースが増えはじめ、潜在リスクが顕在化する前にできる限り備えておきたいというニーズが発生した。そのためには、企業が発表する財務情報だけでは十分ではないという危機感が高まった。

制度面では、2006年に国連が責任投資原則(PRI)を発表し、機関投資家はESG要因を投資判断プロセスに組み込むべきとの方針が示された。その分析材料とするべく、企業側もがESG関連情報を開示するようになった。環境報告書、CSR(企業の社会的責任)報告書、サステナビリティ報告書など、扱う範囲が広がり、多様な報告書が発表されるようになった。

しかし、ここで問題が生じた。従来の財務、経営戦略を中心に扱うアニュアルレポートに加えて、報告の構成も開示の基準も企業や国・地域により様々で、情報は増えたものの、公正な評価や、企業同士の比較が難しくなってしまったのだ。企業にとっても、どの基準に沿うべきか判断しにくく、グローバルに事業を展開する企業は各国・地域の規制それぞれに合わせねばならず、業務が煩雑化、増大する状況になってしまった。

そこで、2010年に国際統合報告協議会(IRC)が発足し、国際的に共通する基準を作り、財務・非財務を統合した報告書のひな型を作る試みが始まった。2013年には国際統合報告フレームワーク (IIRC)が発表され、どのような構成で統合報告書を作るべきかの雛形が示された。2021年には改定版が発表され、さらに、作業がIFRS財団に引き継がれ、国際財務報告基準とESG関連開示基準の策定が、文字通り「統合」されることとなった。

非財務の価値は、将来の財務につながる

国際的に共通の開示基準や報告書の構成を策定する過程の根底にあるのは、ESGに代表される非財務の要素は、将来の財務、つまり業績につながるものだという「統合哲学」だ。

簡単な例を挙げれば、例えば人材育成や環境対策の費用を削れば、短期的には費用を下げて利益を増やせるかもしれない。だが、その会社の人材がライバル会社に劣後する状況につながり、会社の長期的な競争力は低下するだろう。また、環境汚染が露呈し急に業績が悪化するリスクもある。つまり、安易なコストカットによる一時的な利益は、長期的な企業価値の成長にはつながらないことになる。そういったことは、従来の財務情報の開示を分析するだけでは見抜くことが難しい。環境対策、人材投資や社会とのつながり、健全なガバナンス体制などを、技術開発戦略や営業戦略といった事業戦略と一体化して理解することが必要になる。

統合報告フレームワーク(IIRC)を策定する上で、議論の核となったポイントは、非財務情報の開示は投資家の意思決定に有用性がなければならないという点だ。この過程で機関投資家が要望した以下の3点をおさえておけば、非財務情報の開示について迷ったときに、投資家の要望とのギャップを小さくできるだろう。

① 長期投資の観点から、短期的な財務利益だけではなく、持続的価値創造を可視化してほしい
② ESGリスクや人材、知的資本などの情報を「戦略」と「業績」に結びつけて説明してほしい
③ 各社が異なる形式で非財務情報を出しており、比較が困難なので、比較しやすい共通基準が欲しい

つまり統合報告書は、アニュアルレポート(財務)と、環境報告書・CSR報告書・サステナビリティ報告書(非財務)を単純に一冊に合体させただけではない「統合された」ものであることが求められているわけだ。

無形資産から非財務情報への広がり

無形資産の扱いも大きく変化してきた。従来、財務会計上の無形資産は、特許や商標、ソフトウェア資産など「識別可能で、かつ取引可能なもの」と定義され、会計的な価値が計測できるものに限られ、バランスシート上の資産として財務会計の内側で扱われてきた。

しかし、統合フレームワークで求められる非財務情報は、より広い意味を持つ。知財にとどまらず、人材、ブランド力、企業文化、顧客の信頼、社会的なネットワークなど、企業価値に大きく寄与しているものは全て、「非識別・取引できない」無形のもので財務会計に組み込めないものであっても開示対象ととらえられる。つまり、無形資産をバランスシート上の「静的」な位置付けから、企業が価値を生み出すための「動的(ダイナミック)」な資本と位置付けたのだ。

そして、財務資本と非財務資本がどのように組み合わせて価値を生み出していくかを示すのが経営戦略であり、統合報告書の中核を成すべき「価値創造プロセス」ということになる。

※本コラムは筆者個人の見解および分析に基づくものであり、所属する団体の公式見解を示すものではありません。

日本IR協議会特任研究員

杉由紀

ビジネス誌記者、外資系証券会社および国内系・外資系の資産運用会社アナリストを経て、アリアンツ・グローバル・インベスターズ・ジャパンで日本株式調査部長を務めた。現在は企業のIRアドバイザーを務めるほか、日本IR協議会特任研究員として、企業のインベスター・リレーションズや経営戦略策定等のアドバイスを提供する。ピクシス合同会社代表。

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