統合報告書は、機関投資家とESGについて対話するだけではなく、通常のIR資料にも取り込めば長期視点で会社を理解してもらうことにもつながる。取引先や就職活動中の学生にも会社の社会的意義や取り組みをアピールできる。さらに、社内向けIR、研修のツールとして活用することで、社員のモチベーションや共感を高めことにもつなげられる。全てのステークホルダーに届く企業メッセージとしての統合報告書の活用を、日本IR協議会特任研究員・杉由紀氏に解説してもらった。
統合報告書をもっと活用しよう
統合報告書の第一の読者として位置づけられるのは、株主や投資家だ。にも関わらず、IRの現場で統合報告書が十分に活用されているとは言い難い。
統合報告書をIRに活用しよう
もちろん、統合報告書が発行された後、内容に関する説明会を開催したり、主要な機関投資家を個別訪問して説明し、意見を聞いたりする上場企業は少なくない。また、ESGの取り組みに関する対話(エンゲージメント)のツールとして活用されるケースも多い。
しかし、筆者がウォッチしている範囲ではあるが、決算説明資料はもちろん、経営方針説明会など通常の投資家向けIR資料に、統合報告書の内容、特に統合報告の核とも言える価値創造ストーリーの図を活用している企業は非常に少ない。多大な労力をかけて作り上げた価値創造ストーリーを、統合報告書に掲載して終わりでは大変もったいない話だ。価値創造プロセスは、1枚の図でありながら、会社が何を目指しているのか、その実現のためにヒト・モノ・カネと無形資産の何をどれだけ投入するのか、どのような経営戦略に基づいて実行するのか、長期的に何を社会にもたらすのかまで、すべてを伝えることができ、使い勝手が非常に良いはずだ。IR説明資料のすべてに価値創造プロセスの図を掲載すれば、四半期の業績説明であっても、長期のプロセスの途中の一歩として高い視点から評価してもらうことが可能だ。より長期志向の投資家を呼び込むきっかけにもなるだろう。
中期経営計画も、長期的なゴールに至る価値創造プロセスの通過地点として位置付け、説明するべきではないだろうか。中計に関する投資家との議論は、ともすれば目標数字の内訳を細かく質問されるだけの無味乾燥なものになりがちだ。しかし、長期の価値創造ストーリーを下敷きにした上で示せば、なぜその戦略を選んだのか、なぜ投資計画や資本効率、株主還元の中期目標がその水準なのか、最終的にはどこを目指すのか、などについて説得力を高め、有意義な議論をすることができる。
また、統合報告書は投資家以外にももっと活用できる。顧客、調達先を含めた取引先、金融機関、行政など、社外のステークホルダーとのコミュニケーションの際に、会社案内だけでなく、統合報告書も加えて重要ポイントを説明すれば、説得力を高め、理解を深めてもらえるだろう。環境、社会、ガバナンスの取り組みも分かりやすく書いてあるので、透明性の高い経営を印象づけ、企業の信頼性を高めることにつながる。ぜひ活用していただきたい。
社内IRへの活用で、ベクトルをそろえる
もう一つ、筆者がお勧めしたいのが、社内での積極活用だ。最近では、IR活動の一環として、IR部門が決算の内容や、中期経営計画の説明をする「社内IR」に取り組む会社が徐々に増えているが、統合報告書を発表した後にも、社内向けに説明会を行う企業が出てきている。会社が何をもって社会に貢献しようとしているのか、どんな経営戦略でそれを達成するのか、各部門の事業戦略や投資計画、人材育成など、従業員が頭に入れておくべきことが一冊にまとまっているのが統合報告書だ。会社や事業の社会的意義を意識することで、モチベーションが向上し、従業員一人一人が力を入れる方向のベクトルを揃えることに役立つ。結果として、従業員エンゲージメントの改善も期待できる。
就活中の学生も統合報告書を見ている
さらに、社外のステークホルダー、特に将来世代への活用の一例として、就職活動中の学生があげられる。実際、最近の学生は、就活の際に統合報告書をチェックすることが増えているという。一橋大学大学院 経営管理研究科教授の円谷昭一氏は、Human Capital Onlineのインタビューで、最近の学生は複数の企業から内定をもらった後に、最終的にどの企業に就職するか検討する段階で、統合報告書を読むことが多いとしている。特に、トップメッセージ、女性活躍の実態、社風、エンゲージメントスコア、育成制度などに注目するのだという。就職先を絞り込む段階で、より企業を深く理解するため、またトップの考えや社員の声から社風を読み取るために活用しているというわけだ。
円谷氏によれば、学生たちは、統合報告書に書かれた文章の書きぶりやデータの選択、表現の仕方などを会社間で比較し、その会社がどのくらい誠実に会社の実態を紹介しているかについても敏感に読み取っているという。他社が開示しているからと表面的に開示した数字でなく、実態を表すものを見抜き、どんな社風か探っている。
例えば、経営陣のコメントは本人が書いた形跡があるか、それとも全て担当部署が書いたものか、手書きのサインが添えられているか、記事やデータの配置・デザインは社内の柔軟性を示唆しているか、取締役や役員の経歴や年齢からダイバーシティの取り組みに実が伴っているか、研修の具体的な内容が紹介されているか、エンゲージメントスコアが年齢別に示されているか、など、実に様々なところを見ているようだ。会社が外の世界とのコミュニケーションを誠実に行おうとしているか、入社後の自分の会社員生活をイメージできるか、能力を磨くことが可能かなどのヒントを得ようとしているのだ。
統合報告書の質を充実させることは、質の高い投資家を呼び込み、取引先や消費者の信頼を高め、さらに優秀な学生を惹きつけることにも役立つ。その意味で、統合報告書はまさに「全てのステークホルダー」に向けた会社のメッセージの集大成だ。
※本コラムは筆者個人の見解および分析に基づくものであり、所属する組織の公式見解を示すものではありません。
日本IR協議会特任研究員
杉由紀
ビジネス誌記者、外資系証券会社および国内系・外資系の資産運用会社アナリストを経て、アリアンツ・グローバル・インベスターズ・ジャパンで日本株式調査部長を務めた。現在は企業のIRアドバイザーを務めるほか、日本IR協議会特任研究員として、企業のインベスター・リレーションズや経営戦略策定等のアドバイスを提供する。ピクシス合同会社代表。
